高校時代の思い出話をする前に、前回、「中学時代にいろいろ反発していた」と書いたことについて、少しご説明いたします。
私の中では黒歴史なのですが、今の自分がどう出来上がってきたのかを振り返ることは、今後を生きていく上で、意味のあることのような気もします。
何に反発していたかというと、いわゆる受験制度で、特に進路指導の先生の言う事は絶対に聞かないゾ!と、意固地になってました。
一言で言うと、「良い高校に入って、良い大学に進み、良い会社に就職すれば定年まで安定して過ごせる」という、当時としては当たり前の考え方に反発していたというわけです。
プロのギタリストになりたいという夢があったことも、この考えを後押ししていた気もします。
なので、進路相談の時も、いわゆる進学校には行かないゾ!と断言していたのですが、「成績が悪いから行けない」と思われるのはイヤなので、勉強だけは頑張って、学年上位の成績は維持していました。
高校受験が近づいてきた時、普通高校には興味が無かったのと、何か物作りの道に進めるような気がして、工業高校という選択をしたのですが、当時の私の成績だと、受験せずに面接だけで入学できる、いわゆる推薦入学が適用となって、受験制度に反発していた私にはピッタリの状況になったのでした。
中学の卒業アルバムで、このような表情をしていた理由をご説明しました。
というわけで、無試験で入学した高校でしたが、将来の目標などは特になく、でもなぜか勉強だけは頑張りつつ、毎日、ギターを担いで通学する日々でした。
ただ、専攻した電子工学の授業は面白く、実験や実習なども多くて、また、放課後は仲間とギターを弾いてと、楽しい高校生活ではありました。
実習中の写真、私は左端です。
この頃に学んだ、音響物理の知識と経験は、ヴァイオリン製作に役立っている気がします。
こちらは、在学中に取得した、電気工事士の免状です。
この頃、ギタリストになる夢はさすがに無謀だと分かってきた時期で、この資格を取った頃は、漠然と、電気屋さんにでも就職するのかなと思っていた記憶があります。
3年間、仲間と組んでいたバンド活動は、今でも良い思い出です。
決して上手いバンドではなかったのですが、何度か、ライブのステージで演奏もしました。
当時の写真は一枚も残っていないのですが、卒業アルバムに、文化祭で演奏した時の写真が残っていました。(私は左から2番目です)
この時は、その頃に流行っていた日本のロックを演奏した記憶があります。
サザンオールスターズ、ツイスト、ゴダイゴなどの曲がレパートリーでしたが、この写真の時は、「銀河鉄道999のテーマ」を演奏していたと思います。
この写真は、修学旅行の時です。
中学時代に比べ、将来への悩みも特になく、仲間とともに毎日を楽しく過ごしていたことが、表情から伺えます。
とはいえ、3年生の後半ともなると、そろそろ進路を決めなくてはならず、夏休みに進路指導の教室に行くと、クラスメートと担任の先生が居て、黒板に、いろいろな企業の名前が書かれていました。
今思うと、どれもが有名な企業ばかりだったのですが、私としては、あまりピンと来ず、仲間たちが先に決めてくれれば良いと、のんびり構えていました。
ですが、突然、先生が、「菊田はここが良いんじゃないか?」と言い出し、黒板に私の名前を書いてしまったのでした。
仲間たちも、そうだそうだ~と騒ぎ立てて、私も後に引けず、結局、一言も発言することなく、私の進路は決まってしまいました。
入社試験も無事に合格し、翌年の4月からNHK名古屋放送局に勤務することになったのでした。
というわけで、なんとも主体性のない就活が一瞬で終わり、その後も、音楽活動中心の毎日でした。
今でも信じられないのですが、3月31日、翌日が入社式という状況の中で、自主開催でコンサートを開き、仲間とステージに立っていたのでした。
この、余裕というか、世間知らずというか、世の中を舐めているというか(笑)、鈍感で図太い精神状態は、今の自分からは想像もできないのですが、、良くも悪くも、エネルギーがあった頃だったような気がします。
これは、高校の卒業アルバムの写真です。
当時は、堅苦しいアルバムではなく、自由に撮影しようという風潮だったようです。
それにしても、緊張感が無さすぎですね。
当時の自分に、「もう少し気合い入れて生きろよ」と言ってあげたいです(笑)
結局、私は高校受験を経験しませんでしたし、大学進学にも興味が無かったので、思えば、一度も自分の偏差値というものを知ることなく、今日まで過ごしてきたことになります。
40歳の時に、今度は試験を受けてクレモナの高校に入学することになったのですが、、やはり因果応報ということでしょうか(笑)、、。
ともかく、この年から、20年間の放送局人生が始まるのですが、また別の機会に、少し思い出話をできればと思っています。
では、進行中のヴァイオリン製作のこともご紹介します。
アーチが終了したら、反対側を削って厚みを出していきます。
毎回、突き抜けそうで怖い作業ですが、丸ノミでザクザク削り、、
ミニカンナとスクレーパーで仕上げます。
アーチの仕上げ以上に、コンマ数ミリで音色が変わる微妙な作業です。
表板はバスバーを貼り付け、
適正な高さ、カーブを意識して削ります。
バスバーの形状によって、特に低音の響きが変わってきますので、表板の材質を検証しながら慎重に仕上げます。
横板に裏板を貼り付け、内型を抜きます。
新モデル「フォルマP」として製作した内型の役目は、ここで終わりです。
ボディを閉じる前の、最終確認です。
やり残したことが無いか、疑心暗鬼になる瞬間でもあります。
ラベルのシリアルナンバーも、128番目となりました。
クランプでニカワ付けしてボディを閉じます。
ようやく、フォルマPのボディが完成しました。
黄金期のストラドらしい、安定したシルエットのように思います。
比較のために、こちらは、同時に製作中のストラディバリ1705年モデルの裏板です。
写真では微妙な違いですが、実物を手に取ると、明らかに違うモデルの楽器であることが伝わってきます。
気がつけば3月、春もすぐそこまでという感じですね。
陽当たりも良くなってきて、猫たちには過ごしやすい季節がしばらく続きそうです。
ちび丸は、春眠暁を覚えず、ですね。