コラムのお知らせと、アーチの作業
7月ですね、日本もイタリアも夏本番となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
さて、私が所属する「関西弦楽器製作者協会」では、会員によるコラムを連載しております。
今回、寄稿させていただきましたので、ご紹介させていただきます。
http://www.kansai-violinmakers.jp/column/2570/
駄文失礼いたしました。
コラムにも書きましたとおり、無我夢中で美しい楽器を目指してクレモナに来て17年、このブログも13年目となりました。
毎回、製作する楽器と真剣に向き合い、より良い楽器を目指して仕上げておりますが、まだまだ楽器製作の世界は奥が深く、一生をかけて勉強をしていくものだと実感しております。
今回ご紹介するアーチ削りも、13年前の記事を読み返しても、ほとんど変わらないことを書いていますし、写真も、あまり変わっていない気がします。
それでも、完成する楽器は少しずつ、カタツムリのような歩みで進化していることを信じつつ、一台一台の楽器を製作していきたいと思っております。
というわけで、ミニカンナによるアーチの削りです。
構造的には、もちろん外側から削っていく作業になりますが、感覚的には、丸ノミでの荒削りで作った骨格に対して、肉付けしていくような感じです。
このミニカンナ、クレモナに来てすぐに手に入れたものですが、手に馴染んでおります。
ですが、表面を滑らかに仕上げることが目的ではなくて、内面からの張り出しを生き生きと感じるような、自然な膨らみを目指していきます。
とても酸っぱくて、デザートという感じではないですが、でも、生命力が凝縮されている感じで、一粒で元気になれます。
by violino45 | 2018-07-05 16:17 | 製作記 | Comments(4)
関西弦楽器製作者協会のコラムのアップ
有難うございます。
菊田さんと協会について、岩井孝夫さんの功績、クレモナに渡ったその お考えなど
拝読させて頂き ました。
毎日、ただ目の前の事をしっかりとやる、そうした点が、ひいては一つの線になり
自分が生きてきた道となる、そんな事を感じながら日々頑張りたいと思っています。
ある出来事が、そのような毎日について
改めて考える、そして 新たな想いを持ち
その道を見直したり、納得したりのキッカケにる。
大きな、緻密な目標を持ち
それに対して 計算して考えていくのも大切ですがシンプルな目標を 持つという事は、複雑な事にとらわれ過ぎずに物事に邁進するには 大切なんだと 感じました。
そして、菊田さんの楽器に対する想い、自分の目標に対する真っ直ぐな熱意が
伝わってきました。
私は、約20数年 同じ仕事をしてきて
最初は右も左もわからず 怖さを感じていましたが、ここ数年はやっと 歩んで来た道に間違いは無かったのかも、、と。そして自分の着地地点が見えてきて、仕事以外にも 気になっていた音楽への想いを 今は 新鮮な、シンプルな気持ち、目標を持ち向かい合っているところです。
菊田さんのブログは、いつもタイムリーに私の心に 栄養と元気さと 感動を与えてくださいます。新ためて感謝いたします。
ついに、7月です。
呉々もお身体ご自愛くださいますよう
お祈りいたします。
ミケニャン、ほのぼのショットも
有難うございました(o^^o)
コラムについてのご感想をありがとうございました。
少々回りくどいコラムで恐縮でしたが^^、私が書きたかったことをご理解いただけて嬉しいです。
そうですね、仕事でも趣味でも、どんな分野でも、始めるきっかけは様々で、鮮烈な出会いのこともあれば、成り行き、もしくはあらかじめ敷かれたレールの場合もあるかと思います。
ですが、あるタイミングで、何か運命的な出来事に遭遇して、自分とその物事の関係性が決定的になる瞬間というものがあるのではないかと思っています。
私の場合、とあるきっかけでバイオリン製作と出会い、無性に作りたくなったことが始まりでしたが、最初はバイオリンそのものに無知でしたし、製作したい楽器のイメージも曖昧でした。
なにしろ、製作スタイルの見本として購入したバイオリンが、ドイツスタイルの楽器だったくらいでしたので、、^^。
その後、岩井さんのビデオと出会い、クレモナスタイルに惹き付けられて、モラッシーさんに会いに行き、その結果、ラザーリ師匠のバイオリンに出会ったことは、自分にとってやはり運命的な出来事でした。
長年一つの仕事をしていると、様々な周辺要素が出てきて、考えすぎて、果ては、この仕事をしている意味?というような曖昧な観念にとらわれてしまうと(もちろん、そういう問いかけは重要ではあるのですが)、本当に大切なことが揺らいできてしまう恐れもあって、今回、コラムという半ば公的な場所をお借りして、自分の軸、足場というものを再確認してみました。
Junjunさんのお仕事も、いろいろ複雑な物事を考えなければいけない状況、お立場であると思いますが、お忙しい中でも軸がぶれないのは、やはり、お仕事でも音楽でも、一番大切なものを優先されているからと想像しております。
7月ですね、、刻々とあの日が近づいておりますが、、今年も穏やかに迎えられるように、日々過ごしていきたいと思っております。
常に理想の楽器を目指して、精進を続けられる菊田さんの、昔のままの姿勢、いつもどおりの楽器への向かい方が確認された思いです。
ラザーリ師匠に師事して、何を美しいと思うがのセンスの部分で、指導を受けたり、学び取った(盗む?)ことなどありましたでしょうか?
菊田さんの楽器にはもう十分な個性を放っていますよね。100台が並んでいる中でだって、見つけられると思います。*たにつち*
コラムをご覧いただき、ありがとうございました。
ご感想をいただき、とても嬉しいです。
たにつちさんに購入していただいたヴァイオリン(カノーネ)は、コラムの文中での、1999年の夏に初めてクレモナに行った直後から製作を始めた楽器でした。
クレモナで得た知識や、モラッシー先生から受けた刺激を胸に、多くのことを試したくて仕方のない状態で、ワクワクした気持ちで製作したことを今でもよく覚えています。
そのせいか、たにつちさんのカノーネは、留学前の作品にもかかわらず、今見ても、後年、クレモナで学んだ成果が現れた楽器達と同じように見えます。
ラザーリ師匠から学んだことを言葉に表すのは、コラムにも書きましたとおり、とても難しいですね。
このブログでは、それを記したいという気持ちもあって、13年も続けてきましたが、未だに、上手く表現できていない気がしています。
ですが、私の目には、掲載した写真のすべてに、ラザーリ師匠から学んだ美的なセンスが反映されておりますので、やはり、言葉ではなく、映像の感覚で伝わるものなのかもしれません。
ただ、本物のラザーリ師匠の楽器を立体的に見ると、自分の楽器とは違う次元にあることを感じますので、今でも、そのたびに盗もうとしています。
ですが、たにつちさんにもお言葉をいただきましたように、私の個性が自然に出ている部分もありますので、そういう部分は大切にしながら、さらに奥深い世界を目指していきたいと思っております。
一つ、モラッシー先生の言葉の中に、「楽器の美しさで大切なのは、Armonia(調和)だ」というフレーズがありまして、この言葉はいつも胸に抱いて製作しております。